名古屋平成中村座 同朋高校公演(2024.3.13)
中村勘九郎さん、中村七之助さん取材
今年3月『名古屋平成中村座』の公演が18年ぶりに行われました。
同朋高校体育館のしつらいは、さながら江戸時代の芝居小屋のような雰囲気で、流麗荘厳な歌舞伎の舞台を身近に感じながら楽しむことができました。公演さなかの夕方、お疲れを微塵も感じさせずインタビューに応じてくださった中村勘九郎さんと中村七之助さん。憧れのお二方を前に緊張してしまいましたが、気さくで優しくお話しくださるうちに気持ちがほぐれていきました。生涯忘れられない体験です。

| Interviewer |
|---|
| 嶋田 涼華 同朋高等学校1年 |
| 千種 春乃 同朋高等学校2年 |
| 岩田 ゆず 金城学院大学3年 |
| 有村 紗奈 南山大学1年 |
インタビューコーディネイト
立木 常雄 / 歌舞伎の学校 校長

Q.私は江戸職人長屋のグッズ班の1人として仕事しました。商品を考案し準備していく中で不安もあり、精神的にも肉体的にも大変でした。でも先生方や友達と協力して進めることができ、本当にチームワークの大切さを感じました。お客様に喜んで頂けた時には、頑張って良かったと心から思いました。
勘九郎さんは同朋高校での公演にあたって、不安なことはおありでしたか。(同朋高等学校1年/嶋田涼華)

A.18年前の同朋高校公演の時、僕は出演を予定していたのですが、足の怪我で出演できませんでした。ですから、どういう環境なのか、楽屋はどんな感じか、舞台関連は、と思い巡らせました。また、ここの花道が通常の花道より随分長いという噂を聞いていたので、やや不安はありましたね。でも父親が愛した中村座という空間を盛り上げていく皆の力を信じていたので、大きな不安はありませんでした。
Q.もう一つお伺いします。勘九郎さんが高校生の時、放課後は何をしていらしたのでしょうか。(嶋田涼華)
A.渋谷で遊んでました。本当は遊んでちゃいけなかったのですが、多分もう時効だと思うので告白します。僕は青山学院高校に通学していて、最寄り駅が渋谷だったのです。渋谷か表参道辺りで遊んでいましたね。部活は中学の時は剣道部でしたが、高校では所属せず、放課後はずっとぶらぶらしていました。
*

Q.私は嶋田さんと同じくグッズの考案から発注する仕事と、公演中はグッズの販売を担当しました。当日までに準備が間に合うのか、グッズが買って貰えるのかが不安でした。またお客さんに買って貰うためのチラシを配ることになったのですが、受け取ってくれなかったらどうしようと考えると怖くなりました。でもお客さんから「ありがとう」「頑張ってね」などの言葉をかけられ、嬉しい気持ちでいっぱいになったのです。歌舞伎を観に来る方々は、きっと心の広い方々なのだと思いました。
七之助さんに教えてほしいのですが、七之助さんが考える歌舞伎の魅力とは何でしょうか。(同朋高等学校2年/千種春乃)

A.歌舞伎の魅力を一言で言うのは難しいかもしれませんが、一つ言えるのは、本当に歌舞伎はジャンルが広いことでしょう。今回でも最初は「弁天」(*注1)というようなお芝居があって、そして『身替座禅』という常磐津と長唄の舞踊。夜の部では「四の切」(*注2)という古典中の古典があり、そして長唄の踊り『藤娘』‥。本当にいろんなジャンルが詰まった演劇だと思います。
※1注釈「弁天」:演目『弁天娘女男白浪』のことを言います。
※2注釈「四の切」:『義経千本桜』は、全五段の人形浄瑠璃として初演され、翌年歌舞伎で上演されました。そのため、「川連法眼館」の場は四段目の切にあたることから「四の切」という俗称で呼ばれている名場面で、義経と静御前の再会と、源九郎狐の恩愛の哀話が描かれています。
Q.私達はお着物姿しか知りませんが、七之助さんの普段の私服はどんな感じですか。(千種春乃)
A.実は僕、私服には全く興味がなくて、高校時代から着ている服が多々ありますよ。ある時、ファンの方から「高校時代に一緒に撮って貰った写真があるのでここにサインください」と言われまして、その日の格好が写真と全く同じで、さすがに恥ずかしかったですね。昔は殆ど毎日が舞台でしたので、家から楽屋、楽屋から家という往復しかなくて、あまり私服が要らないのです。まあ基本的に興味がなく、おしゃれではありません。
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Q.私は英語を習っているので、海外に関する質問です。勘九郎さんのお父様は海外公演を積極的になさっていたかと思いますが、日本と海外ではお客さんの反応は違うものですか。(金城学院大学3年/岩田ゆず)
A.父は全国各地、海外で公演をしていて、僕達も一緒に連れて行って貰っていましたね。
反応の違い‥そりゃあ面白いですね。アメリカとヨーロッパではまた違います。アメリカのお客様はブラボー、ワンダフルと言って盛り上がる方が多いです。一面、歌舞伎では子供が犠牲になる話、主君のために自分の子供を犠牲にしてお家を守るという芝居があるのですが、そこは全然共感してくれません。逆にヨーロッパのお客様はそういうお芝居も受け入れてくれます。シェークスピアとかチェーホフなど、いろいろな演劇が根付いている国々だからでしょう。
子供の頃は日本でお芝居すると「あ、子供が出て来た、可愛い」と拍手してくれますが、海外のお客様は「さあ、君達は僕らに何を観せてくれるの?」っていう感じです。怖いですが、すごく良かった場合はもう日本のお客様の2倍3倍以上の反応が返ってきますよ。ドイツで公演した時は席が通路側から埋まっていくのを目の当たりにしました。何故かというと、通路側はつまらなかったら直ぐ帰れる席だということです。演劇が日常にある国で公演する時は、やはりそれ相応の方達が観ているので、覚悟してやらなければなりません。
スペインでフラメンコを観に行った時のエピソードをお話ししましょう。フラメンコの場合、ダンサー、演奏者、歌手で構成されますね。僕達日本人はフラメンコを踊っているダンサーばかり観てしまいます。『藤娘』を上演して思ったのですが、日本人はやはり舞う人をずっと観ていらっしゃいます。スペインのお客様は演奏している人達、歌う人をよく観ています。現地で聞いたら、実は歌がメインで歌う人の表情や何を歌で表現しているのかを観るのだと言うのです。これがお国柄なのだと思いました。

*

Q.私は初めて七之助さんと鶴松さんの『二人藤娘』を観て、とても感動しました。元々は一人の演目だと聞きましたが、このように演目にアレンジを加えることはよくあるのですか。(南山大学1年/有村紗奈)
A.『二人藤娘』の初演は平成26年(2014年)1月の大阪松竹座でした。玉三郎(坂東玉三郎)のおじさまが松竹座で公演なさった時に僕も出演させて頂いたのですが、二人でやってみようということになって創ったのです。『藤娘』という代表的な踊りに演出を加えることは、なかなかに難しいところもあったでしょうが、この公演で『二人藤娘』が誕生しました。今回の公演は十三回忌なので、3人目の息子と言われている中村鶴松と一緒に『藤娘』を務めたいという強い思いがありました。玉三郎のおじさまにも快諾頂いて、今回の『二人藤娘』が実現したのです。真っ暗な舞台を一瞬で明るくする「チョンパ」という演出法は、曽祖父の六代目尾上菊五郎おじさまが編み出したものです。今や『藤娘』といえばこの演出です。
そんなふうに〝古きを温め新しきを知る“と言うが如く、これからもいろんなことにチャレンジしていくでしょう。


インタビューを終えて
中村勘九郎さん、中村七之助さんのお二方が現れた時、そのオーラの強さに圧倒されました。でもお話には歌舞伎という舞台と空間の面白さが溢れていて、もっと知りたい、もっと観たいという思いに駆られました。ともすれば遠い存在だと思ってしまう歌舞伎が、身近に感じられるようになった今回の公演とインタビューで、すっかり歌舞伎ファンになってしまいました。いろんな舞台や映画、ドラマなど多彩な場でもご活躍のお二方、歌舞伎界に新風を巻き起こしたお父様・中村勘三郎さんの魂を受け継いでいらっしゃると強く感じます。
